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われわれ人類学に関心をもつ法律家ないし法律に関心をもつ人類学者に関する限り、直面する問題とは、私がいうように、有益な情報を与えるやり方でこうした状況をどのように記述するかということである。ここで情報伝達というのは、そうした状況に関する情報と、法過程を世界における一般現象としてどのように考察する必要があるかに対して状況が示す含意についての情報のいずれをも含む。要するに、自然法がもつ恭敬、法的実証主義の単純さ、あるいは法リアリズムの言い逃れはもはや大きな援けにはなりそうもないということが問題なのである。それは、不規則なものごとを整然としたことばを用いながらしかしわれわれを惹きつける不規則性を損なうことなく、不規則なものについて語ることである。それは前の部分に示したように、もっとも不規則な企てということになる。
この不規則な仕事、つまりローティがいうように、「ある通常の言説の観点から異常な言説を探求すること」ならびに「それを[どのように正確に、適切に理解するか]記述し、それによって[体系的な]説明をはじめるにはあまりに不確かな舞台上で生じているものに意味を与える試み」こそ解釈学と呼ばれるようになったものであり(・・・)そうした不規則な仕事をするうえでもっとも緊急に必要とされるのが、民族誌の事例の個別性に引きこまれた人類学者と、法律事件の個別性で頭がいっぱいの法律家とのあいだに交わされる局地的な知識のレベルの会話なのである。
この不規則な仕事、つまりローティがいうように、「ある通常の言説の観点から異常な言説を探求すること」ならびに「それを[どのように正確に、適切に理解するか]記述し、それによって[体系的な]説明をはじめるにはあまりに不確かな舞台上で生じているものに意味を与える試み」こそ解釈学と呼ばれるようになったものであり(・・・)そうした不規則な仕事をするうえでもっとも緊急に必要とされるのが、民族誌の事例の個別性に引きこまれた人類学者と、法律事件の個別性で頭がいっぱいの法律家とのあいだに交わされる局地的な知識のレベルの会話なのである。
— クリフォード・ギアツ(1983)「ローカル・ノレッジ-比較論的視点からの事実と法」『ローカル・ノレッジ』p374-375