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Apr
21st
Wed
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人は二重に「歴史」に囚われる。もちつづけるべき記憶を忘れ去ることにおいて、また苦痛や苦悩が生みだす新たな結びつきにおいて。すなわち批判的な歴史意識から遠ざけられ、そして逃れがたく歴史に組みこまれる。この忘却/苦悩の共同体においては、それを貫く記憶の喪失と変形とに対抗すべく、耐えがたい苦痛を含む経験が想起されるとき、その記憶は「耐えがたさ」の経験そのものとしてでなく、国民ないし民族という結びつきの強化剤へと変換されてしまうのである。そこにはもう一つの新たな「忘却」が生みだされているだろう。p76

「忘却」は私たちの生きる歴史的社会に内在する形式としてある。しかし、それだけではない。国民の編制原理として回収され作動するだけではない。そこにもう一つの歴史の巧知がはたらくのだ。忘却は経験を物化する。それは生きた経験がもつなまなましさとともに、経験の当事者との緊密な繋がりを剥ぎとってしまう。すなわち当事者から経験それ自体が遊離して、いわば他人に利用可能な素材となる。そのとき物化された経験は、私有財産的な記憶としてでなく、開かれた形態を獲得する機会をもつことになるだろう。それが忘却の逆説的な効用だ。p79

— 「経験の『古典』化のための覚え書」、市村弘正(2004)『小さなものの諸形態』平凡社ライブラリー