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他者を認識するとは、他者の姿勢を、重力の法則と彼の反応作用とによって生みだされたものとしてでも、物理的な圧力の結果としてでもなく、彼の思考が彼の意志のために定式化する表象によって生みだされたものとして見ることである。それは、他者の姿勢を、彼女が属する文化のコードによって命じられたものとしてではなく、彼女が自分の仕事であると見なしているものによって命じられたものとして見ることである。またそれは、彼のしっかりと握りしめられたこぶし、あるいは屈託のない笑いを、生物的な衝動や心理的強迫ではなく、彼の思考が望ましいこととして、あるいは、そうせざるをえないこととして定式化した表象によって生みだされたものとして見ることである。他者を認識するということは、彼女が定式化したものと表現したものを、職業上の訓練や民族的なコード化の一事例ではなく、彼女自身が必要でふさわしいと見なしたものの表象から生じるものだと悟ることなのである。(p47-48)
コミュニケーションによって形づくられる共同体は、みなが同じ側に立ち、お互いどうしが<他者>ではなく、全員が<同じ人間>の別形にすぎない対話者たちの同盟、押しよせる雑音汚染の流れを押しとどめるという共通の関心によって結ばれている、対話者たちの同盟なのである。(p112)
— Alphonso Lingis(1994),The Community of Those Who Have Nothing in Common(野谷啓二訳『何も共有していない者たちの共同体』)