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「記憶」という一つの対象化された思考の素材的形態にしても、それは「消滅していくものを何とかして繫ぎとめようとする愛情の念」と切り離すことの出来ないものなのである。そのものが滅び去っていくことへの不安、そのものが留まって居てくれることを望む願いがその際の「愛情」の中には含まれている。そういう動的な精神的要素が「記憶」という思考の材料倉庫の如き精神形式の底にさえ宿っているのである。こうした「衝動」の複合体が全ゆる思惟形式の根っこにおいて働いている。そして自分を育成した文化(生活様式)は同時にそういう「衝動」の母なる大地に他ならない。そこから切り離されて、全てのものが全き他者であるような条件の中に置かれたとき衝動の複合体は極度に単純化される。(p264)

問題はどこまでも、「衝動の地盤」と絡み合った「母国語」文化から追放されてあるという事の中に在った。そうしてアドルノは思考法の伝統のみならずこの「衝動」の地盤をも含めて「認識の歴史的次元」と呼んだのであった。そこでは「歴史」は唯の時間系列における過去なのではない。そこから認識を発生させ、そこにおいて認識の活動を生々と支えている縦の社会文化的次元が「歴史」なのである。(p265)

— 藤田省三(1982)「批判的理性の叙事詩」『精神史的考察』、平凡社選書72