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ティルマンスの政治原理は、差異の原理、アイデンティティの原理ではなく、「同じであるsameness」ことの原理である。一人一人個人はみな異なる、ではなく、任意の存在をべつの任意の存在と等しく同じものであると見なす(アイデンティファイするのではない)。(…)イクイヴァレンスを類似による連想や形容の連鎖と混同してはならない。ティルマンスは感受したエロティスティックな質にむかって、それに類似したイメージや形容詞を連ねて漸近するのではない。少しずつずれたイメージのあいだの共通分母として同じ一つのエロスが、つまり、差異の中から同一性(アイデンティティ)が浮かびあがってくるわけではないのだ。イクイヴァレンスによる変形は、数式の同値変形のようなものである。異なるイメージは、部分的に似ているのではなく、互いに同値=イクイヴァレントである。例えば果樹園と陰茎、現地語とヴァーミセル(イタリア語の極細パスタ)は似ていないが、発音時に口の中で発生する感覚において等価なのである。《肘》と題された《ブラッシュ(紅潮)》(Blushes)のシリーズと地下鉄乗客の脇毛、《無重力》と髭は似ていないが、表面の触覚的エロスにおいて等価なのである。「日常のなかの政治」の章で見たように、ティルマンスの問題は「アイデンティティ」ではなく、アイデンティティを突き崩す「同じであること」の発見である。
— 清水穣「ヴォルフガング・ティルマンス-等価性の芸術」,Wolfgang Tillmans Freischwimmer