21st
ただ偶然だけがメッセージとしてあらわれてくることができるのである。必然的におこることや、期待されていること、毎日繰り返されることは何も語らない。ただ偶然だけがわれわれに話しかける。それを、ジプシーの女たちがカップの底に残ったコーヒーのかすが作る模様を読むように、読みとろうと努めるのである。(2004:64)
男が自らの闇の中で大きくなっていくとき、自らの外の姿では小さくなっていく。目を閉じた男は男の残骸にすぎない。その姿はサビナにとって不愉快なので、彼女はフランツのほうを見ようとせず、そのため同じように目を閉ざす。しかしその闇はサビナにとっては無限を意味するのではなく、単に見えることへの不同意、見えるものの否定、見ることの拒否を意味するのである。(120)
フランツがいった。「ヨーロッパの美というものには、いつも計画的な性格がある。そこには美への志向があり、長期の計画があって、人はそれに従って何十年もかかってゴシックの大聖堂や、ルネッサンス様式の町を建ててきた。ニューヨークの美しさはまったく別な基礎の上に立てられている。これは非計画的な美しさだ。(・・・)それ自体は美しくない形態が偶然に、無計画に、信じがたい環境を作り上げ、そこでは奇蹟的なポエジーを輝かせているのだ」
サビナはいった。「非計画的な美しさ。そうね。間違いとしての美しさともいえるわ。美しさが世界から消え去ってしまうまで、ちょっとの間、間違いとして存在するの。間違いとしての美しさっていうのは、美の歴史の最後の局面なのよ」
そして、自分の完成した最初の絵のことを思い出した。それは絵の上に誤って赤い絵具が流れたおかげでできたものであった。そう、彼女の絵というものは誤りの美しさの上に作られてきていた。そして、ニューヨークは彼女の絵の秘められた本当の故国であった。(・・・)
ニューヨークの美しさの異質性はサビナをつよくひきつける。フランツもそれに興味をそそられるが、おびえもする。それはフランツにヨーロッパへの郷愁をおこさせるのである。(129)