21st
世界の残像、いや残像としての世界を手にしたいという欲求、それをしっかりと刻みつけたいという情熱を、私たちはたとえば一枚の紙切れに文字通り「現像」し焼き付けようとする。それは、取り戻すことはできないけれども確かにあった世界を見届けようという思いに促されているといえよう。しかし、この実在と不在の境界面を占有しようとする紙切れは、同時に、私たちを残像そのものから遠ざけてしまうものともなる。焼き付けられた「残像」の遍在とその加工は、その「像」のもつ影をすら剥奪してしまいかねないのである。こうして、その情熱は消えゆく世界への眼差しを促す一方で、その視覚をいわば貫通力が弱く投射距離の短いものへと裁ちなおしてしまうのである。p99
私たちが生きる世界は、一瞬と廃墟というありうべからざるものの結合を、「常態」として生みだすような異様さによって貫通されているということである。(…)この「瞬間的廃墟」は、この世界の内側の壊れた時間を映し出す残像だろう。そこでの一秒は一世紀に匹敵する。数秒の対応の遅れは数世紀分の苦痛を加重する「取り返しのつかないもの」となるだろう。私たちの世界は、まさしくこのような「一秒」をその成立条件としているのである。残像の存在すら危うい世界というほかないだろう。p102